今回は、YouTubeで公開の「比嘉教授のストーリー&理念①」をご紹介します。
EMの開発者である比嘉教授が少年時代、戦後の沖縄で得たご自身の原点や農業、沖縄への思いを語られています。
偉い人とは、人のために自分の人生を尽くすという人が偉い人なんだと。
あらゆる困難も苦難も世の中のために使うという人が偉い人なんだと。そう気づきました。
当時の沖縄は戦争の影響により食糧事情は厳しく、農業の復興も困難な状況でした。その中でも比嘉教授は実践的な農業や哲学を祖父から学び、そして農業の発展により困窮を解決したいという強い想いから、農学の道へ進みます。
『農業の素人』が、 文献から得た借り物の知識だけで小さな実験を行う。そうした研究ばかりが評価される中で、『本物』の研究はごくわずかです。
目的を見失っている農学の世界から、「本当に人の役に立つ農業」を実現するため、故郷沖縄に戻った比嘉教授は沖縄を世界の農業のモデルにするという大きな構想を描きます。
私が幼い頃から体験してきたことを基礎として農業のモデルを作り、沖縄を世界の農業の「ショーケース」にしようと考えたのです。
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戦後(1950年代)は何もなく、通っていた学校の図書館には偉人伝しかありませんでした。図書は多くはありませんでしたので、私はそれらを全て読破しようとしました。読み進めるうちに、「偉い人とは、人のために自分の人生を尽くすという人が偉い人なんだと。あらゆる困難も苦難も世の中のために使うという人が偉い人なんだと。」そう気づきました。
この発見から、私もそのような「偉い人」になりたいと思うようになりました。もともと農業が大好きで、私は可愛がり大事に世話をすると、作物も動物も実によく育つのです。それを周囲から褒められることが嬉しく、ますます農業に夢中になることで、その道に関する知識も自然と増えていきました。その結果、大人のやりとりも、子供ながらに一人前にやるようになりました。
私には、「今まで学んだことと違うから、それはおかしい」という考え方は一切ありません。あくまでも「農業の役に立つことが正しい」のであり、既存の理論が現場の役に立たないのであれば、その理論に疑問符がつきます。
これがはっきり分かったのは、大学院に進んでからでした。
今までの研究成果、山ほどの農業の研究論文に目を通しても、これでは農業が抱える問題を解決できないと。
その理由がはっきりと分かったのは、大学院の2年生の時でした。それは「本当の意味で農業を知らない人々、つまり『農業の素人』が、一生懸命文献を読んでその文献から得た借り物の知識で研究室内の小さな実験を行い、それで論文を山ほど書く」のです。
ですから、私が読んで納得できるものが「良い本」であり、理解できない論文は「書いた側に問題がある」のだと考え逆に自信を持ちました。「本物」の研究はわずかです。
そういう意味で、今の制度のように教授になるために論文の点数を稼ぐといった点数制では「農業の役に立つか」どうかではなく、「査読論文として認められるか」が重視され、研究者たちは矛盾が生じないようという狭い視点で研究を行い、論文数を稼いで上がっていくのです。
そこには、農学全体や国、さらには世界の農業を見据えるような広い視点は全く存在しません。まさに本来の目的を見失い、手段が目的化してしまっている状態なのです。
そのようなことから、私は故郷である沖縄へ戻り、従来の農学が持つ欠点を乗り越え、私が幼い頃から体験してきたことを基礎として農業のモデルを作り、沖縄を世界の農業の「ショーケース」にしようと考えたのです。
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2025年6月19日 更新